3月号
最近は嫌なニュースが続きました。
川崎の少年のニュースは耳にする度吐き気がするほど怒りを覚えます。ご遺族だけでなく、友人達も「何とかできなかったのか…」と自分を責め続けてしまう大きな傷を負わされてしまったでしょう。
その一方、加害者は反省の前にいかに罪を軽く逃れるかばかりを考えているのではないかと思うと、やりきれない。
こうして考えるだけでも怒りで震えてきます。
少年への教育や法律など、いろいろ真剣に考えるべき時だと思います。犯罪者に対しての精神鑑定、少年法による減刑などは不要なのではないでしょうか。
僕も子供達に関わる者として、いつもと違う子供の小さなサインを見落とさないようにしたいと改めて思いました。
子供は親に心配かけまいと、何かあっても家では普通に振る舞ったりします。
相談室を設けてもなかなか打ち明けなかったりするそうですが、一方何気ない触れ合いの中でポロリと不安を呟いたりします。そうしたSOSを見逃さず、微力ながら子供達の成長に寄り添っていきたいと思います。
この事件以来何となく心が重いままです。事件の全貌が明らかになってくるにつれ、よりいっそう悲しみが強くなります。
さて、少し話題を変えて
…もう3月です。3月3日は雛祭り&耳の日ですね。
といっても、圧倒的に男に囲まれた毎日ですから、3月3日の雛祭りも、猛者達に囲まれて男くさい汗を流します。
もともと魚介類が苦手なのでちらし寿司も蛤のお吸い物もダメですが、せめて「ひなあられ」くらいはつまもうかな。この「ひなあられ」関東と関西で違うらしい。
関東はいわゆる甘いポン菓子で関西はうるち米を使ったしょっぱい、または甘辛いものだそうです。僕は北海道ですが、実家では大小混ざった粒の砂糖がかかった甘いポン菓子でした。

デパ地下にも各店舗ひなあられをだしてますが、あれは店の本店の位置によって味が違ったりするのかな…来年の3月には報告出来るようリサーチしてみます。
2月号
とうとう、東京も少し雪が積もりました。
そういえば去年の2月はすごかったですね、10年に一度の大雪と言われましたからね。
今年は去年ほどではないと言われていますが、最近何が起こるかわかりませんから、ゴツイ長靴でも買いに行こうかと思います。
さて、この寒い冬、僕がフーフーしながら好んで飲んでいるのが懐かしの「葛湯」です。
熱い稽古で男の汗にまみれ、男の熱気に蒸らされて、全てを出しつくした僕を、ツヤツヤプルンとしたあの柔肌の温かい葛湯君が癒やしてくれるのです。

名前を付けるとするならば、
「心桜(こころ)、莉琉(まりる)、結愛(ゆあ)…2014年人気の名前より」ではなく、
「千代、久子、ハル…明治・大正時代人気名前より」といった感じでしょうか。
しかし古いなどとは言わせません!
葛の歴史は2200年前の中国までさかのぼります。すでに薬として使われていたそうです。ここまで古いと一本筋が通っていておしゃれ感が漂います。日本では1300年前に薬用として用いた記録が残っていて、盛んに使われるのは明治時代からです。
中国の光武帝、または聖武天皇、もしかしたら道鏡だって、咳き込みながら葛を口にしていたかもしれないと考えると、葛湯にロマンを感じます!まあ昔は「葛湯」として口にしていたわけではないですが、同じ「葛」ということでご容赦ください。
葛の効能は素晴らしい!血行を良くし、免疫を高め、腸の働きを整え、鎮痛効果もあり、肝臓の働きを助け、目や鼻にも、高血圧にもよい等々万能すぎる!家康も病床で口にしただけのことはある!
しかし、僕はある問題に気づいた。
これは「葛」に関しての効能であり「葛湯と書きながら葛を使ってないものもたくさんある」のです。不安になって、今手元にある数種類の葛湯の原材料を見直してみると、葛粉は少しで、でん粉や片栗粉を多くまぜてあるものがほとんどで、本葛粉100%はデパートで買ったお高い葛湯だけ
……病床の家康が飲んだのはもちろん葛粉100%の葛湯だろうなあ。でないと薬の意味がない。本年は徳川家康公没後400年。本年は静岡三川と日光東照宮に行き、家康公の息吹を存分に感じて参りたいと思います。

僕も男だ!本物を求めて時間があればデパ地下散策してみたいと思います。
そのうち道場で本葛を使って自らプロテイン葛湯を愛おしそうに作る僕を見かける日も近いでしょ。
12月号
最近僕の心に深く刻まれ、忘れたくても忘れられない話があります。
それは
「はだかでばネズミ」についての話です。その名前も「あまりにひどいのでは…」と同情してしまいますが、その「はだかでばネズミ」の掟に衝撃を受けました。

はだかでばネズミは地下に穴を掘って集団で生活をします。厳しい階級社会になっており、上から下まで順位づけがされています。さて、このはだかでばネズミ、巣穴に天敵の蛇が入ってきたときどうするか。
なんと、階級が一番下のネズミを蛇の前に一人残し、その状態で他のネズミ達は巣穴を塞ぐのです。
チロチロ舌を出し近づいてくる蛇。組織の末端にいるネズミは震えながら立ち尽くすばかり。逃げもせず暴れもしない。脅えながらも仲間のために命を投げ出すのです。その後ろでは仲間達がせっせせっせと猛スピードで土を積み上げ壁を作っていく。
そうなんです、関ヶ原合戦「島津の退き口」がごとく「捨て奸」を行うのです。
そして蛇が生け贄のネズミを食べ始めるころ、巣穴に壁を作りおえた仲間達は一目散に逃げていく…なんと残酷な‼
「汝、事を非難することなかれ」
しかし、これがはだかでばネズミが子孫を絶やさぬための方法なんです。
遺伝子に組み込まれ、本能的に行動しているのでしょうが、怖いものは怖い、痛いものは痛い、悲しいものは悲しい…これが天命だと受け入れようとしても僕には受け入れられる気がしない。僕だったら食べられるとわかっていても、命ある限りは闘いたい!勝てなくてもせめて蛇の体に僕の生きた証くらいは刻みたい‼中にはそんなネズミも存在してくれたら嬉しい。
結論としては、はだかでばネズミに生まれなくて良かった。その一言に尽きます。
しかし、人間だって、昔は似たようなことをしていたはずです。
数年前に博物館で、生け贄となった子供のミイラをみました。たしか「マヤ文明」だったと記憶してます。神様への願いと引き換えに、生け贄を差し出すのです。近年の研究で、見つかったミイラの毛髪から生け贄として亡くなる前の状況が解明されてきました。しばらく栄養価の高い食事を与えられ、それから薬物が与えられ、亡くなる直前は薬物の量がグンと増え薬漬けの状態だったということで、恐怖を感じながらの死ではなかったことが救いです。
また日本全国に人柱の伝説も多く残されています。遥か昔は天災など困難に直面した時に、神に願いを叶えてもらうのと引き換えに、人間の側も、一番大切な命をさしだしたのですね。
今から考えれば信じらるませんが、当時は皆がそれを疑問に思わなかった。当時の環境て、天災は神の怒りだと考えても仕方ない状況です。
常識は状況によって変化しますが、「命はかけがえのないものだ」という一点がぶれなければ、世界ももう少し平和なのにと思ってしまいます。
と同時に、「鴻毛が如し」という心境も理解が出来ます。
関ヶ原で首謀者として処刑された石田三成は斬首される直前まで身を労わったとの逸話があります。
「大志あるものは命を粗末にしない」という事なのですが、現代での教訓に活かすとするならば「命は大切に燃やし続けよ」という事になるのでしょうか。

どのみち生きるのならば この命 燃やし続けてくれようではないか!
と、はだかでばネズミから学んだ12月初句でした!
11月号
ハロウィンも終わり、11月となりました。

日本のハロウィンは熱かったとか。
海外では子供のイベントであるハロウィンを日本では大人が楽しんでいるということで、海外から楽しみに訪れる人もいるとのこと。そういえば今年はやけに不思議な方々を目にしました。昼間の池袋でも、「家を出るとき親に叱られなかったかなあ」と心配してしまう格好の若い子もチラホラ目撃しましたし、先日はベビーカーをおした親子連れのお父さんお母さんの頬が耳から顎までザックリ切れて血が出てるので思わずのけぞりましたが、特殊メイクとわかり安心しました。ハロウィンの日にやっていただけたら良いのですが、全然関係ない日であるうえに、夜の渋谷や六本木のように仮装人が溢れているわけではない昼間の池袋ですからそれはびっくりさせられました。

話は変わりますが、「黄金展」に参加して来ましたが、農耕民気質の僕、秀吉の金の茶室…絶対落ち着きません…茶道のワビサビは微塵もなく、成り上がり感に溢れているようで、非常に落ち着かない…千利休は秀吉の金の茶室プロジェクトにやはり嫌々携わったに違いない~などと考えながら金色に輝く椀で抹茶を金のエネルギーに押し潰されながらいただきました。
樹齢何百年などという木には、むやみやたらに触れては行けないと聞いたことがあります。それほどの樹木は人よりはるかにパワーがあるため、弱い人間のほうがパワーを吸いとられるそうです。黄金展でも係の方に「五億円の金塊に触れるのは最後にした方がよいですよ」と言われました。なぜなら、あまりに金塊のパワーが強いのでこちらのパワーを吸い取られる感じになるらしい。だから、小さい金の展示物から少しずつパワーを貰い最後に大きな金塊に触れて、小さな金達からいただいたパワーを少しお返しすると考えたほうが疲れないと。

恐らく、金だらけの茶室はエネルギーが強すぎて、落ち着かないんでしょう…秀吉は叩き上げ魂がギラついていて金よりパワーが強いから金の茶室でも穏やかでいられたのかなあ~
考えてみれば、武士は小さい頃からやるかやられるかの世界で毎日を命がけで生きているわけで、その中でも秀吉は農民(今では地侍クラスであったとの研究も。当時の村には若衆といわれる武力部門もありましたから秀吉もその類出身なんでしょうね)から天下をとるまで昇りつめたわけですから、これはもう凄いエネルギーです。
命と人権は保証されているものだと思っていられる現代とは「生きるパワー」は桁違い。
だとしたら、秀吉の茶室は「成金の悪趣味」と酷評されますが、金ピカピカに囲まれても居心地よく感じるだけのパワーを秀吉が持っていたという…優しい見方もできます。
ただ照明も今とは違いますから、昔の暗~いボワっとした明かりだけで照らされる金ピカピカの部屋は、嫌みなまでに権力を見せつけるようなピッカピカの金色ではなかったかもしれませんね。派手に光るのではなく、かなり抑えた鈍い光になっていたかも。荘厳な輝きであったのではないか……と、日本橋のコレド室町にて、金沢の金箔の小部屋なるものに入って感じました。
今年も残すところあと2ヶ月となりました。金にも負けない輝きを頭皮以外から放つ男を目指して精進していきたいと思います!
しかし江田島塾長を目指す僕としては頭皮からも光を放ちたい。悩ましい事であります。
なにはともあれ摩耗し過ぎないように気を付けながら今後も自分を磨いて行きたいと思います。一緒に自分磨きを楽しみたいというアナタ、そうアナタ!
今すぐお電話を!!!
10月号
だいぶ涼しくなりました。朝、道場に向かうため玄関をあけると、すっかり秋の香りがします。先日、ソファーに座るなり横になって寝てしまいました。窓からの風が心地良く、うつらうつらしているのが、たまらなく気持ちよい!少しのうたた寝でしたが、起きた時は何だか体が軽く、
「蛹から蝶になった感じだなあ~」と思いかけ、そこでふと「待てよ…」と疑問がわきました。「果たして蛹は心地良くまどろんでいるのだろうか?」
人間でも背が伸びる時に成長痛で痛くて眠れない子供がいるくらいです。ましてや蝶の場合、青虫が蝶々になるわけですから、整形レベルではない激しい変化です。
人間世界で言うのなら
・アメリカ帰りの松田聖子
・流行らせよう感が痛々しいほどの韓流スター達の同じ顔
・フリーザ 第1形態から第4形態に至る、その過程
蛹の中は痛みとの闘いかも。その前に痛みを感じたりするのだろうか…
いろいろ調べてみた結果、細胞レベルの話やホルモンの専門的な話は難しくて全くわかりませんでしたが、僕の結論としては、「蛹の時間は秋のまどろみとはほど遠い」ということになりました。
蛹の時代、
蛹の中ではまず脳を含めた中枢神経と呼吸器系以外が一度ドロドロに融解するらしい‼ですからこの時期の蛹は少しの振動でショック死するそうです。
狼男が人間から狼に変わるときものすごく苦しそうなのと同じ様なイメージで、蛹の中でも「グググググッ!」と細胞がみるみる変化を遂げる軋みを耐えているのか。
その前に昆虫は痛みを感じるのか?
痛みに関しては、感じる、感じない両説ありましたが、感じないとするほうが多かったです。痛みを感じる説でも、「神経はあるので、ちぎられたり潰されて神経を傷つけられれば痛みを感じる」という説でした。人間のような痛みの感じ方ではないようです。昆虫は死ぬときは、他者に食べられるという、かなりパンチのきいた死に方が多いのですから痛みは感じないでいて欲しいです。

捕まえられたり敵に襲われると明らかに逃げる素振りをみせますが、あれは身の危険を察知して逃避行動をとるらしいのです。本能って不思議ですよね。これも個体差はあるのでしょうか?人間にも鈍感だったり天然だったりする人がいるように、蝶々にもいち早く危険を察知するものと、クモの巣に引っかかっても気付かないものといたりするのでしょうか?
普通であれば危険に関しては察知する能力はあるのだから、逃げることのできない蛹の時代は危険に対して100%受け身だと考えれば、蛹の中で体はドロドロに溶けていても生き残っている脳は常に外敵に対して緊張感にさらされているはず…まどろむ余裕など全くないに違いない!と僕は考えました。蛹の気持ちが気になりますが、蛹にはなれませんから真相は謎です。いつか謎が解ける時代がくることを祈ります。
タテアゲハは良く見かける蝶々だそうですが、青虫で約二週間、蛹で約三週間、成虫で約三週間生きるとのこと。人間で言えば二十歳までは子供、それから五十歳まではまだまだ人として中身が出来上がらず、五十歳からようやく経験を積んで大人になる、といった感じです。遅い気はしますが現代の僕等はこんなペースなのかもしれないな~。
論語にはこのように記してあります。
子曰く 「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順い 七十にして 心の欲する所に従いて矩をこえず」
まだまだ僕も蛹の時代。
のんびりまどろんでダラダラしている時期ではない!
弱い部分は溶かして再構築だ!それを繰り返しながら50代で揺るぎない人生を踏み出そう!
おじさんの蝶々として羽ばたく日を夢見て、あと10年自らも熱い稽古で蛹から華麗な羽化をしてみせます‼
ある日、道場内で僕が白鳥を身にまとい「白鳥の湖」を練習していたら優しく一言諭して下さい。
「白鳥は鳥類だよ」と。
To be continued
9月号
今年の夏、僕はほとんど蚊に刺されませんでした。
もちろん蚊に対する対策は立てて夏にのぞみました。家の窓にも網戸にも玄関にもたっぷりと「網戸に虫コナーズ」をかけ、部屋にプッシュするだけのスプレーをプッシュしたり、寝るときはさらに液体ベープをつけたりしました。
そのせいか、家では一度も蚊を見ませんでした。初めは「蚊に勝利した!」とほくそ笑んでいましたが、考えてみると外でも刺されていないのです。これはどういうことか
…そもそも、今年、蚊自体が少ないのではないだろうか?そう思った僕はネットをのぞいてみましたら、同じように感じた人はたくさんいたようで、
「猛暑でボウフラがそだたない」
「水溜まりが干上がってしまい育たない」
「豪雨でボウフラも流されてしまい育たない」
など、いろいろな理由がありましたが、何にしろ昔より蚊の数は減少しているようです。
しかし、「このままどんどん蚊が減って絶滅たりして…」という夢はまったく描けず、そればかりか、未来の日本の蚊事情について恐怖すら覚えています。
そのわけは、ある一冊の本を読んだからです。
その本とは
「蚊學の書(椎名誠編著)」*とても面白いので是非読んでみてください
日本の蚊は、暑すぎても寒すぎても生き抜けない。しかし、ご存知のようにアマゾンにも、さらにシベリアや北極にも蚊が存在するというのです!
アマゾンはまだわかる。熱帯の蚊がマラリアなどを運ぶのはよく聞く話ですがシベリアや北極にも生息しているとは初耳でした。
しかも、日本の蚊とは気合いが違うようで、
「隙あらば刺しちゃうぞ~」という可愛いものではなく、
闘志剥き出しに全力で集団で襲ってくるとのこと。デニムの上からも突き刺してくるというから驚きです。なんとアグレッシブな!その姿勢だけは見習いたい。
大きさも強さも日本の蚊の比ではない!
日本のようにそこそこ綺麗な水溜まりでぬくぬく育つわけではないですから当然ですよね。アマゾンの猛暑の中を北極の極寒の中を、強く生き抜いた筋金入りの叩き上げですから、日本の蚊とは根性が違います。
日本の蚊が
ゆっくり時間を使ってあわよくば判定勝ちできたら嬉しいな~と思っているとしたら、彼等は
試合開始と共に上段回し蹴りでの一本しか狙いません。殺気が溢れでています。
だから、怖いのです。日本だって蚊にとって厳しい環境になれば、一時的に蚊が減ったとしても、次にはそれに耐えうる叩き上げの強い蚊が育ってくるはず……温暖化にともないアマゾンで見かけるような蚊が日本にも発生するかもしれない。
僕が年金暮らしになるころには殺虫剤などなんのその、網戸すら壊す勢いの蚊がいる可能性だってなくはない!しかもすごいウイルスをもっているに違いない!
折しもデング熱が蚊によって発生しております。地球のどの場所にでも行ける時代ですから、日本には存在しないウイルスだってやってきます。それに加えて日本の蚊自体が強く逞しくなりすぎたとしたらと想像すると恐ろしい
…日本の蚊よっ、蚊取り線香の煙にヨヨと立ち眩みを起こして倒れこむ、そんな乙女の心を忘れないでくれっ!
あ、ちなみに血を吸うのは交尾後の雌ですが、雄は交尾後死んでしまうそうです…虫の世界は雄の役割が儚くて嫌いです。
自然に畏怖の念を抱くのと同時に、個人レベルでも自然との共存についてできることを考えていかないとならないと強く思わされた夏でした。
7月号
遂に終焉を迎えたw杯
連日のワールドカップ、日本戦は熱くライブで見ましたが、それ以降は録画して見ています。
僕も朝から晩までコツコツ頑張っておりますから、夜、体は疲れております。夜中に試合を見ながら眠りに落ちるわけです。
しかし、頭の片隅では試合を気にしている……脳は眠すぎて白眼をむいてガックンガックンしながらもアンテナを張り続けています。
「メッシ!」とか「ゴール!」とか「PKだ~!」というような単語にいちいち反応し、ビクッとして起きる。そしてまた夢の世界へ
……その結果として朝起きた時には全く寝た気がしない。ついには決勝トーナメントに入ったところで体の披露はピークに達し、ブラジルとチリが入場してきて、両チームが試合前に見事なまでにアクロバティックなダンスを繰り広げ、北朝鮮ばりのマスゲームをきめてから試合に入るという幻覚までみてしまいました。
朝起きて寝ぼけた頭で「いや~今季からの決勝トーナメントはすごいなあ!試合前にショータイムなんて斬新過ぎる。疲れちゃうじゃないか…」と念のためしておいた録画を見て完全に夢であったことを知り、その日以来夜はテレビを消してゆっくりと休み、起きてから時間のある時に見るようにしています。
世界の一流選手のプレイは、当然興奮させられますが、僕は解説者にも興奮です。ガンガンパスを回すサッカーで、選手の顔まではっきり見えるわけでもなく、よく各国選手の名前を入れながら解説ができるなあ!と。
「モドリッチから右サイドのスルナに出て、マンジュキッチの起点、 ペリシッチからさいごは18番オリッチのゴール!」……すばらしい……ピッチで走り回る選手を見て、わかるんですね!僕にはスバシッチ、ブラニッチ、モドリッチ、ブロゾビッチ、コバチッチ、ペリシッチ、マンジュキッチ、オリッチ…ときた時点で誰が誰かまったく理解不可能、ましてや激しく動く中で名前をあげて解説するなんて、絶対無理です。たまに「あ、誰かにイエローカードです。誰でしょうか?」などときくと何だか安心します。あと数試合、この解説も楽しみたいと思います。
もう一つ、僕がワールドカップで気になっている事が。完全に個人的な意見ですが、ドイツの洗練されたオシャレ感、すごいと思いませんか?別に僕がゲルマン系の顔が好きな訳ではないのです。全体的に何だかオシャレなんです。
考えてみた結果、
1.試合がなんとなく正統派(サッカーは詳しくないので分かりませんが)
2.奇抜な髪型や髭のぶっ飛んでしまった選手がいない
3.腕中タトゥーの選手がいない という理由にいきつきました。
そのままで美しい!チャラチャラした感じがなく、知的で紳士的なチームに見えます。
まあオシャレの基準は人それぞれですから、これは完全に僕の個人的好みですが……
ただ、まれにみる空手少年少女の気合の入った髪型。あれはどうなんでしょうね、気を使う場所を違えているし、そもそも武道という観点で物事を考えていない残念な感じが溢れていて素敵です。埼京・城北支部としては「そんな事を行う時間があるなら勉強か稽古しろ」で終わりですがね(笑)

たまにこんな感じが大会会場にいます(笑)
スポーツは素晴らしい!
決勝トーナメントでも二度ほど涙しました。競技にかかわらず、最後まで懸命に打ち込み、全力を尽くし、本気で喜んだり悔しがったりする姿は美しいと思います。
そして、喜んでもそこで終わらずさらに上を目指し、悔し涙を流してもそこで腐らず努力を重ねて這い上がる。
受けた刺激を力に変えて、今日の自主トレも気合いが入ります!
今月も夏の暑さに負けないほど、空手に熱い毎日を過ごしていきたいと思います。
6月号
非常に憤慨しています。
いや、憤慨を超越し諦めているのかもしれない。僕は今、皐月の中で非常に悩んでいます。
最近 ゆるいものが多すぎやしませんか?
しっかりと自分自身のその足で立てる奴が少ない。
少しの衝撃でユルトロッと崩れ落ちてしまう!
甘いっ(怒)そしてゆるいっ(怒)
昭和世代から見たら根性無しが多すぎる(怒)
もっとガツンと向かってくる奴はいないのか!
俺が拳をつき出せば、または拳を押したときに、この拳を、ガンと押し返してくるくらいのガッツある奴はいないのか(怒)

今僕が熱く訴えたいもの、それは「プリン」です。
僕はマカロンloveですから、プリンは今までそれほど気にしていませんでした。
たまに気が向けば、プッチンプリン3個パックを買ってきて冷凍してから食べる程度でした。
しかし先日とろけるプリンを食べながら、ふと思いました。
「昔のプリンが食べたい…」
ここ何年も食べたプリンはすべてなめらかでやわらかいことに気づきました。
10年くらい前に、実家のそばで食べた昔からある喫茶店のプリンアラモードのプリンが頭に浮かびました。あの卵たっぷりな手作り感満載の堅いプリンが懐かしい。
これからのグローバル社会で生き残れないのではないかと危惧するほどの間違った優しさという名の甘やかしが日本に溢れた結果、プリンの主流はなめらかでトロトロになりました。
トロトロプリンの種類によっては、「これ、飲み物でした?」というくらいのトロトロなものもあります。
今僕が求めているのは、焼き木綿豆腐のような表面に一瞬スプーンが刺さらないくらいの昔ながらの固めのプリンです。小さい頃母親が作ってくれた手作りのあのプリン。
余計なものがいっさい入らない懐かしの自然な味のプリン。そう、まさに焼き木綿豆腐。
顎にまでゆとりを与えた結果、若者の噛む力は年々低下、顎の骨は退化、歯並びは崩れて噛み合わせが悪くなり、堅いものをかまないために将来ボケる人が増えるという説も……そろそろ食生活からワイルドに戻さなければ。
時は今、固いプリンに蝉時雨。
かの有名な馬琴も吟っています(*嘘です)
プリンよっ!
飾り立てた美しさではなく、ありのままの姿でいいのだ。
都会に染まらないでくれっ!砂糖と卵と牛乳だけで十分なのだ!
そのままの素朴な君が一番美しい。
堅いプリン、カムバ~ク(オスカル風に)
で、僕は今待っています。
気になるあの子は9月13日に北海道は富良野から僕の元へ。
エゾアムプリンなるものが美味しいと聞き、注文したところ、予約がいっぱいで一番早くで9月13日だと
……「会えない時間が愛を育てるのさ」と郷ひろみも歌っていた。
9月までコツコツと指立てと巻き藁突きを繰り返し、指先の感覚を研ぎ澄まし、届いたプリンに精一杯の愛をこめて僕の指を優しく押し当てよう。つれないほど強く、拒否するかのように、僕の指先を弾き返してくれることを祈り続けます、
いつの日か、あのアラモードを食べるその日まで。
To be continued
平成26年5月号
5月です!
また一つ僕が大人になる月がやってきました。
40歳までに自分にとって必要なものと不必要なものをハッキリわけて整理しておくと、40歳からの運が大きく開くとか!あと少し、しっかり見極めて整理整頓をしなければなりません。
孔子の言葉として
「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」
と論語の中にも記述されています。

話は変わりますが先日、テレビから流れるニュースにびっくりさせられました。
皆様ご存知とは思いますが、遠足のバスの手配を忘れた旅行会社の社員さんが、遠足が中止になればミスがバレない!と思いつき、
「遠足を中止しないと自殺するぞ」
と生徒を装った手紙を届けるという事件?でした。
なんとも愕きなのは、その幼稚な発想をしっかり実行してしまったという事です。
ぶっ飛びました!
なんというトリッキーな作戦、冗談で思ったとしてもそれを大人が実行するとは…その実行力があれば、バスの手配は何とかなったんじゃないかと思ってしまいます。
言い出す勇気がなくて、日程はどんどんせまり、さらに言いづらくなり、追い込まれて追い込まれてやってしまったのでしょうが、パニックになった頭は、いくつかの選択肢の中で一番選んではいけない選択肢をひいたわけです。
「親戚が急に亡くなりまして…」と嘘をついて会社を休むようなレベルではなく、会社全体の謝罪、さらに警察の調査が入ったり、損害賠償まで検討されているとか……
過去のニュースを思い返してみても、失敗したときに誤魔化そうとして上手くいくことなどありません。
大抵後からバレてボヤで済んだはずのものも大火事になります。
「完全に隠せる確証がないなら、謝るべきものは潔く謝るべきだ」との教訓は何時の世も生かされていないのでしょうか。もちろん今回の事件は例外中の例外ではあるでしょうが。
人間だれでもミスはあります。ミスした時にどう対応できるのか……それを培う為にも失敗をたくさん経験することは大切だなあと思わされました。
逃げるのではなく、腹をくくってしっかり責任をとるだけの強さは持っておきたいものです。
今回の件も、ミスってしまったことはもう仕方ないのだから、クビを覚悟で上司に相談して会社をあげてバスの手配に駆け回れば、大企業ですし、なんとかなったのではないかなあと思ってしまいます。
ピンチのときに「腹をくくる」ことの出来る強さと思い切りと諦めの良さとが入り混じったような、物事を真正面から受け止める勇気は持っておきたいですね。
「あ~もうどうにでもなれっ!」と開き直りながらも「やれるだけのことはやってやろうじゃないかっ!」という攻めの姿勢は、美しい!
例えそうなる原因を自らが引き起こしていても、なんだか器の大きな人間に見えてしまう!
「腹をくくる」から、ふと疑問に思ったのは、「昔の武士で、切腹を申し渡された時に、嫌だ嫌だと逃げ回るような武士はいたのだろうか」ということでした。
気になったので、歴史オタクの知人にきいてみたところ、「切腹を命じられる武士自体が身分が高く、武士としての教育をしっかり受けているし、暴れたりなどしたらお家断絶になるから一族に迷惑をかけるし、あまりいなかったのではないか」
とのことでした。中には暴れて逃げ回り、「この恥曝しがっ!」と身内に斬り殺されるような人もいたようですが(笑)
子供の頃からの環境によってこうも違うものなんですね。今だったらほとんどの人間が取り乱してお家断絶だなあ。
そんな今の世にあっても、いざという時に取り乱して暴れないように、武士の魂をめざしたいものです。
さあ皆、岩田道場で武士魂を一緒に培っていきましょう!
ちなみに、ここでいう「武士魂」とは

戦国時代までの7度主君を変えるような藤堂高虎公の強烈な雑草魂と

江戸時代の儒教を加味した武士道とを足して2で割ったものを指しています!
平成26年4月度
電車の扉が閉まるその瞬間でした。
ロングヘアの綺麗な女性が慌てる様子もなく扉に向かってきました。もう閉まり始めていたので、僕は扉近くの吊革に捕まりながら「あ~間に合わないな…」というセリフを心で言い終わるか終わらないかの一瞬の出来事でした。なんとっ、サラサラロングヘアの綺麗な女性は、春

らしい桜色のネイルの上品な両手を、
締まる扉の隙間五センチにズバッと躊躇なく突っ込んだ。そして、表情一つ変えず、むんずと扉をつかみ、明らかにググッと力を込めて扉をこじ開けようとしたのです、無表情で…
当然JRとしては、そのまま発車するわけにいきませんから、全ての扉を一端開けました。女性は何事もなかったかのように電車に乗り込み、ウサギちゃんの飾りがついた可愛いピンクのスマホをいじりはじめました。
僕は怖かった。何が怖いって、この光景を目撃しなければ、そんなことをしそうな女性には見えないところが怖かった!
その女性はこれからデートに行くような格好をしていました。
もしかすると、相手の男性の前では、常に優しくにこやかかもしれない。美しいその指を軽やかに男性の指に絡めることでしょう。そしてサラサラロングヘアを風にたなびかせ、鈴の鳴るような声で彼に言うのだろう。
「今日、電車に乗り遅れそうになっちゃって、どうしようっ(^_^;)って思ったのだけど、ギリギリ乗ることができたの~!」
待て待て待て、はしょりすぎだっ!
思いっきり扉をこじ開けたのですよ!能面のような涼やかな顔で!
誉めるとしたら、自らの力で扉をこじ開けて乗りこんだというところ!
たぶん彼には見抜けない……数年後結婚して初めて彼女の強さに衝撃を受けるはず。
彼女を一生守ろうと誓った男のアイデンティティは脆くも崩れおちる、なぜなら自分が守ってあげる必要は全くないのだから。
女性はおそらく30歳前後、今この若さで鉄のごとき強いハートと確固たる行動力を手に入れていたら、
10年後のハートの強さはタングステン(W)、
50過ぎたらダイヤモンド(C)に硬化するはず。

う~ん、タングステン→ダイヤモンドとは聞こえは良いが強すぎる。
見た目からは本当に想像がつかないだけに、恐ろしい
…僕には見える、赤羽一番街を両手びっしりに大きな石を着けて闊歩する20年後の彼女が。ドラクエ8なら賢さの種が貰えるが、現在世界ではそんなこともないだろう。ダイヤモンドの嫁さんに守ってもらえると思えば彼も幸せかな、そんな幸せの形もあって良いはず!などと祈りつつ、電車を降りました。
考えてみたら、そんなものかもしれない。交尾しながら雌に食べられるカマキリやクモの話は以前書きました。雌に捨てられ寂しく死んでいく雄ライオンの話もしました。交尾と同時に雌の一部に取り込まれてしまうアンコウだっている。生物学的には女性の方が強いのはわかります。古事記の昔から女子優位なのですから。わかってはいますが、夢を見ることを許して欲しい。そう女を知らない男の書いた古の書物のように。
さらにいえば、古今東西老若男女問わず、「ハートの強さ」は羞恥心を捨てることでは決してなく、自分に打ち勝ち、自己を律するためのものであろう。
何事にも動じることのない心を持とう、常にドッシリ構えていよう。
四月は環境が変わる人も多いことでしょう。ハートの強さは生き抜くための大きな武器の一つです。電車の扉をこじ開ける強さではなく、何事もあきらめない強さを身につけ、大きく羽ばたいていきましょう!
平成26年3月号
オリンピックが終わってしまいました。
今年も感動で泣かされました!
選手達はこの舞台のために毎日努力を重ね、競技によっては何の援助もない中で金銭面も苦労しながら、一つのことに打ちこみ続けてきたのです。
学生時代「毎日一時間勉強する!」と決めて10年以上続いた人はいますか?「毎日腹筋をやる」と決めて10年以上続いた人はいますか?
自分に置き換えると、ほんの僅かな事でも毎日続けることは難しいものだと実感します。
毎日何時間もの練習を何年も何年も続け、更にその中の選ばれた者だけが、オリンピックの舞台に立てる。そう思っただけで震えがきます!
僕も大きな試合の舞台にたった経験がありますが、オリンピックとなればその何十倍もの重さで張り詰めたような空気感、人々の視線、自分に向かう世界中のカメラ、さらに日本を背負わされ、マスコミにメダルメダルと言われる責任感、だめ押しでスポンサーに「メダル期待してます!」なんて言われた時には気絶したくなるほどのプレッシャーでしょう。
インタビューだけを考えても普通の人で、世界中のメディアにマイクを向けられ、声一つ震えず堂々と笑顔で受け答えが出来る人なんてほとんどいないと思います。オリンピックのアスリート達は、想像を絶するプレッシャーを、自分を律して力に変え、自分のパフォーマンスのみに集中していくのです。凄いの一言につきます。
メダルを逃して、インタビューで謝る選手をテレビでみる度に、「謝る必要なんてないっ!頑張る姿を見せてくれてありがとうっ!」と涙を流しながら僕は感じていました。
努力した本人が一番悔しいはずです。日本でぬくぬく暖かい部屋でテレビを見ている我々に謝る必要はない、ましてや揚げ足取りが仕事の連中に謝る必要はない。
ちなみに、夜中にテレビを見ながら、僕はいつの間にか無意識に正座をしていました。僕も毎日を空手にかけた時代があります。食事も強くなるために考えてとりました。基礎となる拳を鍛えるために毎日コツコツと砂袋を叩き続けました。キツい稽古も耐えぬきました。達成感で喜びに震えることもありますが、悔しくて怒りで震えることも、自分の心が潰れるくらい落ち込むこともあります。そういった経験から、選手達の乗り越えてきたものがどれほどすごいものか想像ができたのでしょう、さらには、そういった努力を続けた人間の中でさらに選ばれた頂点の人間がオリンピックの舞台にたっているわけで、夢叶わず涙を流した人間は山ほどいるのです。そういう想像から来たのだと思うのですが、目にみえない強く鋭い光で刺されたような感じをうけ、光り輝く尊いものを見せていただいているような感じがして、正座せずにはいられなかったのです。感動をありがとうございました。
アスリートは美しい!
何かにガムシャラに突き進む姿は美しい!
ガムシャラに突き進む経験は、メンタルの強さを育てるはずです。そのメンタルの強さは生きる上で一番の宝となります。
そういえば、羽生選手が、自分が認識していた以上の緊張をしていて、それに気づかなかった。ということを言っていました。羽生選手は中学生以来失敗したことのないジャンプで失敗しました。その時のことを振り返り「勘弁してくれよ~」と思ったと言っていました。自分の認識以上に体が緊張で動いてなかったわけですから、頭はびっくりしますよね。
緊張しなければそれがベストでしょうが、なかなかそうはいきませんから、緊張している自分をどの程度緊張しているか認識することは確かに大切です。緊張は体を堅くします。できるはずの事を出来なくさせます。
メンタルを鍛え、緊張の中で自分のパフォーマンスに集中するためにも、まず自分が緊張していることを頭で認めて、どのくらい緊張しているのか分析にまず意識を向けていけば、必要以上に舞い上がりわけがわからなくなるということは避けられます。最終的に自分のパフォーマンスのみに集中して力を発揮する。これが出来れば、運動でも勉強でも無敵です!僕の半分しか生きていない19歳の羽生選手がアスリートとして必要なことを再認識させてくれました。
さあ、空手を通じて真のアスリートを目指そうではないですか。
強い体と強い心という武器を手に入れ、人生という冒険を乗り切ろう!
うっかりスライムにやられちゃった貴方、
または倒れた自分の棺桶を教会まで引っ張ってくれる仲間がいない貴方、
是非岩田道場で自分を鍛えて一緒にレベルをあげていきましょう!!!
……ドラクエの人気の秘密をなんとなく少し感じとりながらの3月スタートです!
平成26年2月号
少し時間があったので、本屋さんで普段気にも留めない都市伝説の本をパラパラっと見てしまいました。これがしばらく僕を悩ませることになりました。
内容は「この世界は過去に滅びた歴史がある」というようなもの。
はるか昔の地層に、ガラスが溶けた層が存在していて、それは核戦争でも起こらなければ出来ないような規模だという話でした。だから、地球の人類は核戦争により滅亡した過去があるのではないか…と。
地球ができて46億年、しかし人類が生まれてたった400万年で人間はここまで文明を発展させ、核爆弾もすでに作り上げました。そして今も世界中でたくさんの地域が戦争をしているのは事実です。世界中を巻き込んでの核戦争が起こらないとは言い切れない。
たかが都市伝説、暇潰しだと割り切って笑って済ませられない不気味さを感じてしました。
人間は忘れる生き物です。忘却は神が人間に与えた武器だといいます。ただ、絶対に忘れてはならないことまで忘れてしまっては意味がない。幼い頃教わるような「自分がやられて嫌なことは人にはしない」ということを世界中で教育するだけでも、世界が進む方向はだいぶ変わると思いますが、そんな教育を受ける機会さえない子供達が世界には多くいます。大人であっても、平気で人を傷つける人間も一定数存在します。
ありがたいことに、今ここに平和に生きている僕には、世界の争いを止めるほど大きな力はなくても、子供達に優しさと強さを教えていくお手伝いができたら嬉しいことだな~と、ふらりと入った時とはうって変わって神妙な面持ちで本屋を後にしました。
話は変わりまして、2月は節分です。
実家から小包みが届きまして、開けると柊の枝と神社の厄除け豆でした。ありがたいですね~。ドイツは魔除けとしてモミの枝を飾ったり、アジアでは唐辛子を魔除けとしているところも多いようです。縁起物の植物を調べてみましたら、縁起が良いと言われている植物が一方で縁起が悪いと言われるケースが多々ありました。
例えば
①ザクロは子孫繁栄のシンボルとされている反面、実が割れるので家名断絶に結びついて縁起が悪いと言われるようです。
②柿は、お金をかき集めると言われている反面、身が冷えるために縁が悪くなるとも。
③椿は寒い中でも緑の葉を繁らせ生命力があると言われる反面、首を落とすように花を落とすため、武士の家では特に嫌われるらしい。
結局本人の感じ方次第で良くも悪くもなるんですね。
節分の恵方巻きは、七福神にちなんで七種類の具材を入れ、福を巻き込むという意味で太巻きを作り、縁を切らないという意味で一本丸ごと食べるのですよね。
僕はマカロンでも食べようかな、東北東やや右を向きながら、七種類のマカロンを立て続けに飲み込んで、願い事をしたいと思います。
良い子と、賢い皆さんは真似をしないで下さい。エンディング時のサザエさんになることは間違いないのですから。
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新春 平成26年1月号
新年あけましておめでとうございます。
今年も空手を通じて皆さんと一緒に心も身体も鍛え成長していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

ところで、皆さんおせち料理は好きですか?
「あまり好きではない」という方も僕のまわりにはけっこういますが、僕はおせち料理大好きです!
売っている高くて豪華なものではなく、昔ながらの家庭で作るおせち料理が好きです。
売り物の黒豆のようにツヤツヤでなく、多少シワが寄ってしまった黒豆が好きです。
マメに働く「黒豆」、
喜ぶにかけた「昆布巻き」、
金運を招く「栗金団」、
大きな芽がでることで出世を願う「クワイ」
それぞれに意味があるので、意味を考えながら、少しずつ御節をつまむと、パワーをもらった気になる僕は単純なんでしょうかね。
黒豆もこぶ巻きも田作りも似たような味ですが、お正月だなあ~という感覚が味覚を通じて体に染み込みます。感覚を通じて、しみじみと日本人だなあ~と感じる懐かしいような暖かな気持ちになる瞬間が大好きなんです。
例えば丸の内線や銀座線の見事なまでの整列乗車に参加したとき。三列で電車を待つ人々の隣に、始発を待つ人が三列に待機。先の三列が電車に乗り込んだ直後、始発待ち組は誰が掛け声をかけるわけでもないのに、アウンの呼吸で三列をを崩さずに立ち位置を移動。その姿は日体大名物「集団行動」の如き一糸乱れぬ見事な横移動!これぞ日本のお家芸!と満足感をえながら始発に乗り込みます。
また、大好きなマカロンの柚子味を食べた時、外国人にはオレンジの一種かもしれないが、僕には柚子のマカロンを通して、冬至の柚子風呂や水炊きのポン酢に搾る柚子、お雑煮やお吸い物に浮かぶ柚子の皮など、日本の文化や家庭の暖かな食卓をが見えるんです!
妄想だと笑うなら笑ってください。小さな出来事に幾つものホッとする思い出が付いてくるなんて、お得感満載です!
僕は年齢とともに、日常生活の中で自然の美しさに感動したり、今まで人からしてもらってもさほど気に留めなかった事をありがたいと感じたり、今まで流していた出来事を受け止めて何かを感じることが増えてきました。
今年は少し「もののあわれ」を感じて理解できる、雅な男に近づこうと思います。
戦争や餓えに怯えることなく、屋根の下で眠ることができて、手元に小銭があったなら、世界の上位8%の幸せをもらっているそうです。2014年も政治経済いろいろな変化があると思いますが、日本はすぐ良い結果が出ないと批判ばかり、こぞって叩きに走ります。もう少し誉めて伸ばしてもよいのでは?
日本に生まれたことを感謝して、日本の良さを再確認していきたいと思います。
何か問題にぶつかった時には不平不満を言う前に、一息ついてまずは今に感謝を、それから解決にむけて冷静に対応していこう、そのくらい余裕のある人間になろう!
と、元旦の自主稽古を終え山奥の露天風呂に一人、日本の冬をしみじみ感じながら、2014年スタートです。
道場は6日からの始まりですので稽古にたくさん参加して下さい~!
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年輪だよね~ 201312号
「若い」ってそれだけで、体からエネルギーがありますね!
生命力がほとばしってます。歳とともに体力が落ちるのは仕方ないので、せめて日々のトレーニングでガタ落ちしないよう、維持するよう心がけています。
ただ、若者の体力面は羨ましいとはいえ、昔に戻りたいかと問われたら、答えは「否」。
今の方が、目標も、やるべきことも明確でブレがないぶん、楽に生きている気がします。
「楽」といっても決して「楽チン」とか「お気楽に」という意味ではないですよ。今の方が、年齢を重ねた分責任も増え、昔は笑ってごまかせた事もそうはいかなくなっている。背負う重圧は、若い頃よりずっとずっと重くなっています。
では何が理由で、今の方が楽なのか…澄んだ冬の空気の中、寒風にハラハラと葉を落としていく木をみつめながら、僕は考えた…で、気づきました。
今の自分は昔の自分より、余計なものが削ぎ落とされているのです。
若い頃は、それこそいろいろな欲がありました。あれが欲しいこれが欲しいという物欲や、目立ちたい、ビッグになりたい、認められたいという自己顕示欲など、他人に見られる自分を意識したが故の欲が多かった。
皆さんも、持っているはずです…封印したいくらい恥ずかしい昔の写真…
今それを着て歩けといわれたら、罰ゲームとなるような格好で、意気揚々と映る、昔の自分。
長い髪をサラリと風にたなびかせ、背伸びしたファッションに身を包み肩で風切っていたそんな過去があるはずだ!または派手なダボダボの服にゴツいバスケットシューズをはき、大きなラジカセ片手に「チェケラッチョ」と叫ぶ過去があるはずだ。

女性だって、肩パットバリバリのジャケットにぴったりしたミニスカート。前髪は半分上へ半分下へ、太い眉毛にどぎついピンクの口紅を塗って夜な夜なくり出した過去をお持ちの方も少なくないはず!
中身よりも外側を飾ることに明け暮れる過去は多くの人がもっているのではないでしょうか。
その時代から少し大人になると、別の欲がでてきました。強く上昇を求めました。もっと上へもっと上へ、もっと強くもっと強く!!自分を振り返る時間を与えずにガムシャラに突き進んでいる期間がありました。若さゆえに成功すれは有頂天になりますが、さらに上を上を目指すから、苦しむことも多い。日々闘いですね。学生であればこれからの進路や、はたしてこの会社が自分にあっているのか、など、仕事の方向自体にも悩むでものでしょうね。僕自身は、選手でありたいという気持ちと、指導に専念したほうが良いのではないかという気持ちとで揺れ動いていたこともありました。
現在の自分を考えると、もちろん目標は高く自分自身も日々研鑽、やはり強くありたい!
そして、空手を通じて心も身体も強く育つ子供達をみて嬉しく思う反面、もっと何かできないか、もっと伝えるにはどうしたらよいのかと、悩みは尽きない毎日です。
ただ、若い頃に比べて、決定的に違うのは、自分の進むべき道がはっきりとしていることです。
更にまわりから良く見られたいといういうような邪念が剥がれ落ちて、純粋に自分自身との闘いができるようになったぶん、縛りなく身軽に生きていけるようになった気がします。
自分もわかってきますからね。

ピアニストへの夢は天才ピアニスト牛田君を見て、悔いなく諦めることができました。僕のセンスはピアノより空手なんだっ!!!
しかし進む道は決まって昔より一歩一歩に不安は無いとはいえ、やはり、「もっとこうしたい。そのためにはどうしたらよいのか?」と、悩んで試行錯誤することもしばしば……
「四十にして惑わず」
と孔子は言いましたが、なかなか難しいものです。でも、孔子様も、40~50歳はやりたい事がなかなかうまく進まずに必死にもがいていたようです。「四十にして惑わず」は、孔子が後から人生を振り返って言った言葉ですから、「四十歳くらいで惑わないようにしておくと良いよ~」ということなんだろうな…人生80年と考えたら、僕はまだまだ。僕がブリなら「イナダ」と呼ばれている頃。僕がえんどう豆なら「さやえんどう」と呼ばれ、蝉なら「幼虫み~つけた!」と眠っているところをちびっ子に掘り返され、羊さんだったら「ラム肉」として出荷されちゃってる…まだまだそんなヒヨッコです。
今年もあと僅かです。進むべき道は確認済みだ。惑いながらでも、一歩一歩踏みしめて道を固めて進んで行こう!
と考えてみた12月です(笑)
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プラスイオン発生器 201311号
電車で、こんな経験ありませんか?
自分は吊革につかまって立っていて、その前の座席には、ゆったりした間隔で乗客が座っている。自分の近くのに座っている乗客が、自分のためにスペースをあけようと少しズレる。すると連鎖したように、皆が少しずつ少しずつ座席を詰めて、自分の目の前の座席にさっきまでは存在しなかった空間ができる、しかし、残念なことに、自分が座るにはスペースが確実に小さい……こんな時、皆さんはどうしていますか?
僕はこうした優しさに多々出会います。
座っている素敵なマダムが僕を見て
「あ…お座りになる?(壇蜜風に)」
といった感じで少し詰めてくれる。けっして僕は「おいっ席を空けろよっ」と脅してはいません、念のため。基本的にジェントルマンなんです。
するとマダムの隣の若者が
「あ…つめる感じ?そんな流れ?」
といったふうにまた少しつめる。繰り返しますが僕は脅してはいない。
隣の人がつめると、まわりの人間は察します。
「あ、つめれば一人分空くな、さあつめようつめよう!」
言葉は一言もありませんが、皆が少しずつ優しさを持ち寄ります。
しかし、結果は惜しいことに、僕のお尻のスペースの4/5くらい……
僕には無理やりお尻をこじ入れて、「もっと空けろよ!」というアピールをする勇気はない。かといって知らん顔するのも、何となく優しさを踏みにじるようでツラい。ツラいからといって、移動してその場所を離れれば、僕は「席を空けて座らせてください」とは一言もいっていませんが、なんとなく、つめてくれた乗客から
「なんだよ!詰めさせるだけ詰めさせておいて、そのまま行くのかよ」
と言われているようでいたたまれない。
イタズラに女心を弄んだ奴だと後ろ指さされるような気がして、移動もできない。
じゃあ、と勇気をだして、「皆さん、少しずつ詰めてくれてありがとう!ただ、あと一歩足りなかったんです!さあ、あと少しだけすみませんが更につめていただいて、空けるなら完璧な

一人分のスペースをお願いします!」とは図々しすぎて口が避けても言えず、だからと言って「せっかくあけていただいたのに、僕がこのスペースに入らないお尻であったために、優しさを無駄にしてすみません。皆さんのお気遣いには感謝しています」というのもちょっとおかしい……かくして、「こういうとき、どうしたものかなあ…」と思ったまま、なんとなく雰囲気だけで感謝を醸し出しながら、しばらく電車にゆられているのです。
そのうち、明確に「座りたい!」という意志を感じる人がやってきて、「すみません、ここ、いいですか?」と魔法の一言により、微妙だった隙間はザザッとモーゼの十戒のごとく空くのであります。そこで「みんなの優しさのリレー、感動のゴール(ジローラモ風に)」といった気分になり、僕は初めてホッとするのです。
電車といえば、最近嬉しいこともありました。電車の床に空き缶が落ちていたのですが、20前後の女の子が降り際にすっと拾っていきました。
駅でも素敵な光景を見ました。
赤ちゃんを抱いたお母さんが急な夕立の中タクシーを待っていました。
屋根の無いタクシー乗り場で、お母さんは赤ちゃんが濡れないようにフードをかぶせて庇うように抱いていました。僕は改札にいて、「タクシー早くきてあげないかな」と気になっていました。そこに息子を連れた母親が通りかかり、一度通り過ぎてから赤ちゃんを抱いたお母さんに気づいたようで、すぐ引き返してきました。そして、さしていた傘を赤ちゃんを抱いたお母さんに差し出し、息子と一本の傘に二人で入り帰っていきました。赤ちゃんを抱いたお母さん

はもらった傘をさし、親子が見えなくなる時、二人にむかって何度も頭を下げていました。
優しさってけっこうあちこちにあるものですね。
そういった場面に出会うと元気をもらえます。最近元気をもらう場面に多く遭遇しているので、今月は元気のお返しを心がけたい!
まずは、道場生に全身全霊で愛に溢れる稽古を。今月の道場は熱いぞっ!
という訳で、リズム真横蹴りを3分10セットから始めましょう~!
それでは、また来月までSee You!
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成仏とはなんぞや 201310号
もうすっかり朝晩は肌寒くなりましたね!
緑だった木々の葉も黄色く色づきはじめ、風もなんとなく愁いをおび、夜ともなれば虫の声が胸に染み入るこの季節、最近僕の心の隙間に入り込み、心を虜にしたお話をさせてください。
それは「お墓」の話。
あ、「お墓」の話といっても、「墓を買おう」とか「墓が高い」とか、「坊主丸儲けじゃないか」とか「戒名高すぎる」とか、そんな下世話な話ではないのです。
この世界は非常に興味深い分野です。お墓=宗教ですが、宗教や信仰とはサイエンスではなく情緒であって、成仏出来る出来ないなんて、それこそ答えの出ない、まさに信仰の問題なのです。信仰、宗教は一先ず置といて、
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*写真は岩清水八幡宮。河内源氏の氏神であり、源氏棟梁の源頼朝の祖 八幡太郎義家が元服した場所としても知られています。赤羽八幡宮もここから勧進されています。
秋の夜長につられて、僕は先祖から脈々と流れる「成仏に対する概念」に興味を持ったのです。ことの始まりは、夏のお盆。
夏の月記にも書きましたが、僕は自分の死後、特に何らか形に沿った儀式を望みません。大切な人が時々思い出してくれたらそれでよい。そして誕生日、盆暮れ、命日に好物を供えてくれたら良い。
ただ、そうは言っても、「土に帰らないと成仏できないよ」などと知り合いにいわれたら、「そうか、成仏はしたいから灰を土に帰すことだけはしないとなあ」などと思ってしまう自分がいました。
ここで、ふと考えた。
やはり何だかんだ言っても、自分は先祖代々受け継ぐ成仏の概念に縛られているのだな!と。
そこで気になったのが世界のお墓でした。
様々な人種、様々な宗教、それに基づいて、この世とあの世の関係も違うだろう。
当然、「どうしたら成仏できるのか」という考え方も変わる。そうなると「お墓」も変わるだろう!と考えたわけです。
調べてみると、様々なお墓に出会いました。さらに驚かされたのは、世界中の墓をめぐって歩いている「墓マイラー」まで、すでに存在しておりました(笑)
まずはアメリカのお墓。アメリカはキリスト教に基づいて、「死後復活を待つ」という考えが多いようで、土葬が多い。土地も広いですから問題もなさそうですが、日本と違い一族でお墓に入るのはかなりな名家だけなようで、個人個人埋葬されるため、祖母の墓がカリフォルニアで父の墓はワシントン
といったように広いお国を象徴するように親族が眠る場所も点在したりするようです。
ちなみにカリフォルニアからワシントンまで4,491km。北海道最北端の稚内から沖縄までが概ね3,500kmですからアメリカ大陸の広大さが理解できます。そして、そんな墓参りはしたくない。しかし最近では火葬も増えているそうですが、これもさすがアメリカ、火葬場の火力が日本の比ではないそうで、バンッバン燃やして終わったころには既にサラサラの灰!ダイナミックですね。
スペインにはお墓マンションが存在していました。カプセルホテルのようになっていて、そこに棺を入れてコンクリートで蓋をして名前などを書いたプレートをはめるようです。骨壺ではなく棺をそのまま入れるのが驚きでした。
イギリスには「薔薇の墓地」がありました。墓石ではなく代わりに薔薇を植えるのです。日本のように「この日にお墓参りにいく」と事前に決めて行くより、毎日散歩で寄りたくなる美しさでした。
スウェーデンは素敵でした。「死んだら森へ還る」という考えのもと、「森の墓地」なるものが存在していました。世界遺産にも登録されています。ただただ美しい緑の丘や森が広がり川もながれ、静かに礼拝堂が建っています。森の中には墓石があります。散灰を希望する人は「森の墓地」内にある「追憶の森」というところに撒かれます。僕はこれには感銘をうけました。もしや僕の前世はスウェーデン人なのではないか?と思うくらい、「還りたい」と思わされたお墓でした。興味ある方是非ググってください!
福祉国家らしく、埋葬税でまかなわれ、ストックホルムでは所得の0・07%が所得から引きさられます!さすが「揺りかごから墓場まで」のお国ですね。

*写真2はスウェーデンの「あの世観」イメージ。僕の遺影にも転用出来ます。
また違う意味で納得したのが、イスラム圏でした。
その国によっても多少違いはありますが、イスラム教は偶像崇拝禁止だということで、日本のようにガッツリ名前を刻んだお墓などは、ほとんど建てないようです。
死ぬとアラーの審判を受けると考えられ、その際遺体が必要なため火葬は禁止です。
また向きもメッカの方向をむけて埋めます。日本では火葬が基本なので、イスラムの方が日本で亡くなった場合、土葬を嫌がる日本と火葬すると地獄に行くと信じられているイスラムの方々とで問題が起こっています。
インドは火葬してガンジス川に流すのが多いようでした。ガンジス川は「聖なる川」なので罪も洗い流されて悟りの境地に達すると考えてられているそうです。男性が火葬した骨を持ってガンジス川に行き、ガンジス川には案内人もいて、「あなたはここから流して」と指示されるらしい。その際ノートに葬られた人の名前と喪主を記入します。
いや~ざっと調べただけでも、世界各国死生観も様々ですね。
宗教的に土葬が当たり前の地域も多いんですね。
何をもって死後の安らぎとするかは、その宗教と地域により違うので、万一自分が死後成仏できずお化けになってしまった場合、「助けてください~」と幽霊の姿で駆け込んだ先がお坊さんではなく牧師さんだったら、果たして僕は成仏できるんですかね………スピリチュアルな方でわかる方がいたら教えてください。
お墓をいろいろ調べて、決意したのは一つ!「死後誰にも迷惑はかけない」ということ。どこにどのような形で埋葬して欲しいのかを明確にしておき、それにかかる費用もすぐにわかるようにしておこう!と。実家の墓にでも入るのだろうけど。
人生の最期、スマートにいきたいですね。美しい散り際の準備はしっかり考えておきたいものだ。死んでも空手は続けて行きたいから道着だけは持って行こう!
と、しみじみ感じて10月のスタートです。
何はともあれ一度の人生、楽しんで過ごして行きましょう!
それでは、また来月までSee You!
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女神の前髪の長さはどれくらい? 201309号
今年も猛暑でしたね!
陽炎がたつ武蔵浦和では命懸けの稽古、皆、本当に頑張りました!ご褒美に岩田先生のプロマイド(香り付き)をあげたいと思います。
夏休み、お墓参りに行った方も多いのではないでしょうか?
僕の故郷である北海道は七月にお盆を迎える家が多いのです。
東京でも都心の人にきくと七月にやったという方が多くいました。一般的なのは、やはり8月13~16日でしょうか。御先祖様が3泊4日でこちらに帰ってゆっくりして、またあの世に帰っていくという考えなんですよね。

迎え火送り火を焚いたり、精進料理を供えたり、キュウリやナスで馬を作ったり、親族集まって大宴会をしたり、灯篭流しをしたり、それぞれいろいろなやり方があると思いますが、大切なのは御先祖様を思う心です。
僕は思います。
何十年か先、僕がキラキラ光るお空のお星様になった時には、特に決まった行事は望みません。あとに残った僕の大切な人達がたまに僕を思い出してくれて、僕の誕生日、盆と暮れ、そして命日に毛ガニとマカロン、夕張メロンに生ハムを添えて供えてくれたら、それで充分です。
思ってくれることが一番だなあ、お供え物は好物限定でお願いね~と、柄にもなく控えめな願いを考える時間を、僕の夏休みは少し与えてくれました。
さて、話は変わりますが、僕の朝はNHKです。
朝からキャピっと若い可愛いお姉さんの明るいテンションが寝ぼけた頭に馴染まず、落ち着き払ったNHKが心地よい。
しかし、3ヶ月ほど前から実は、数分だけ「目覚ましテレビ」を見ております。
なぜかというと、それは「目覚ましジャンケン」に参加するためです。
ご存知の方も多いでしょうが、リモコンを使って視聴者と毎日ジャンケンをします。「勝ち負けあいこ」でポイントが加算されていき100ポイント以上で景品に応募ができるというものです。ここで、僕は不思議体験をしました。
その体験とは……
今までも、「ツイてるっ!」と感じる期間と「ツイてない」と感じる期間は存在していました。
日単位だったり、年単位だったり、とにかく良い運気の時期と悪い運気の時期があるとは思っていました。
ただ、それは「なんとなく感じてきた」もので、明確にいつからいつまでかはわかりません。しかし、その線引きが初めて明確になる経験を目覚ましジャンケンで体験したのです。
それは1ヶ月前に遡ります。毎朝二回ある目覚ましジャンケンにて、負け続け始めたのです。3日間負け続けたあたりで僕は意地になり始めました。
「このままではおかない、倍返しだ」

決してハイジのセリフではありません。たかがジャンケン、されどジャンケン。朝の直感を試されるのです。大人ですから、別に1日の気分を左右されるほどではないものの、やはり朝一から、「負けた!」「また負けた!!」と二回も繰り返すとなれば、負けず嫌いの空手家の血は疼く。次の日のジャンケン勝負が待ち遠しい!そして負ける…さらにまた負ける「あいこ」でもないのです。敗北するのです。選ぶもの選ぶもの全てが負けること一週間。僕は敗北し続けました。土日はジャンケンがないので、次の勝負は月曜日。
あ~なんとか勝ちたい!モヤモヤしたまま土日を過ごしました。
そして朝、待ちに待った月曜日がやってきました。
が…なんだか、気分が先週とは違う。色んなところに覇気がある!
そしてジャンケン選びに迷いがなかった。ピンとくる!とはこのことです。
なんとなく、「パーだな!緑をクリック」という感じでした。
しかし先週の負け癖のせいで、「またどうせ負けでしょ」と、負けた時のショックを少しでも減らすため先にマイナスを考えておく卑屈な態度もできかけていました。
ところがなんと、この朝、僕は久しぶりに勝利をおさめたのです!「やった~!」と舞い上がるほど嬉しかったのですが、もちろん武道家ですから、テレビの向こうの対戦相手に敬意を払いガッツポーズは決して取りません。ガッツポーズを決めたら勝ったジャンケンもそこで敗退、それが極真館の目指す空手道 大山精神の継承なのです。
謙譲の美学と溢れ出るエロス それが岩田 學だという訳です。
とにかく、喜びを噛みしめ一時間後の第二戦、これもピンときて勝利!
先週とは違う…と確信しました。そしてなんと一週間僕は勝ち続けました。ジャンケンで何を出すか、何となくピンとくるんです。そして大丈夫だという安心感がある。先週とは真逆に勝ち続け、少し怖くなった金曜日の二回目のジャンケンでアイコとなり、絶好調運気の終わりを知りました。
人間 何かを成し遂げるのに努力は必要です。ただ、努力だけではどうにもならない運気の流れは存在しています。それを目覚ましジャンケンにて再認識させられました。
何をやってもダメな時期もあれば、何事もうまくいく時期もある。
運気の流れが悪ければその運気に逆らわずに「今はこういう流れなんだ」と落ち着いて、マイペースにコツコツ頑張って、次に運気の流れが絶好調に変わった時にその頑張りを最大限生かして自らを上昇させる!
そうやって生きていこうという思いを、頭だけでなく、体の中から理解したのでした。
ただ、努力を欠かしては、良い流れも活かせませんから、目標に対する努力は欠かさずに行きましょう。
次にまた、目覚ましジャンケンに連勝し始めたら、とりあえず、ロト6に挑戦します!
では皆様、今年度も後半戦になりました。ビシビシと稽古して自分を高め、流れをつかめる実力を、運気を巻き起こす実力を、女神の前髪をわしづかみ出来る実力をつけて行きましょう。
女神の前髪は植毛可能であることを祈りつつ、支部長月記の筆を置きたいと思います。
それでは、また来月までSee You!
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海は広いし、大きいし、怖い 201308号
始まりました。世界水泳!
逞しい肉体美が右から左へ、左から右へ!毎晩熱くなってしまい、夜更かしが続いています……誤解される前に言っておきますが、決してそちらの趣味があるわけではありません。
なぜ、僕が熱くなるのかといえば、大きくわけて二点に絞られます。
まず一点目。
それは筋肉業界に携わるものとして、あの肉体美の裏に隠された努力がいかに凄いものかということが普通の人より身近に感じられるためです。
あの肉体美には、本人の長年に渡る絶え間ない努力とまわりのサポートがつまっている。その長い長い努力をこのレースに、競技の時間だけなら10秒~40秒ほどの短い時間のためだけに賭けてくるのです!熱くならずにいられない!
若い彼等は我々の何倍も何十倍も、人によっては何万倍も頑張っているのです。彼等の鍛えあげられた筋肉に刺激され、俺も負けてなるものかと、真夜中に、ダンベルを口にくわえて、首を上下させながら、「とにかく選手全員実力をしっかり出し切れますように!」とテレビの前で祈らずにはいられないのです。
二点目は水泳選手という存在事態が、僕からすると「神」に近いという点です。
どういうことか……ここは男らしく結論から言いましょう。
僕・・・・泳げないんですよね。
海に入るような夏合宿には浮き輪が必須です。そんな僕からすると、競泳は見ていて驚くことばかりなんです。
砂浜にいるときには常に海岸を凝視し、シャチが僕を狙っていないかを警戒しなければいけません。
なぜならば、彼らは波打ち際まで捕食行動を行うからです。
またホオジロザメの襲撃にそなえて、杖は欠かさずに携帯しなければなりません。
なぜならば、鼻先を突かなければ確実に喰われるからです!
さらに泳げませんから、

①浮き輪
②シュノーケル
③脚ヒレに
④アームガードは必需です。
上記にプラスして命綱を装備したならば、「安心安全」に海水浴を心置きなく楽しむ事が出来ます。
注1*写真はイメージであり、実在の人物とはなんら関係はございません。
・・・・話を水泳に戻しますと、
そもそも何故浮いていられるのか?
背泳ぎでターンの時、何故に誰も頭をぶつけないのか?
飛び込みでゴーグルはとれないのか?
バタフライなど進むのは何故か? まったく納得できない。そんなレベルです。
さらに僕を驚かせるのは選手の食事です。
水泳選手ですから、食事もバランスだけでなく超人的な量になります。
一説には1日4000キロカロリーだとか!!!
ガラスの胃腸をもつ少食の僕の二、三日分の食事を1日で食べる勢いです!
胃と十二指腸で消化し、小腸で栄養素を、大腸で水分を吸収するわけですが、そんなに食べていたら消化すら出来ず、消化しないのであれば吸収も出来ませんから、排泄までまっしぐらに突き進む結果となります。また競技練習のためとはいえ、冷たい水に何時間も浸かっていたら、僕の胃腸は五分で悲鳴をあげますね。したがって、僕は運動のセンスには自信があるが、どう逆立ちしても水泳選手にはなれない!僕にとって、水泳は異次元のスポーツなのです。
今回の世界水泳、僕は世間同様「萩野公介選手」に夢中です。
18歳と若い彼の無限の可能性を信じる力にグッときます。
彼は、
日本人は自由形では世界に通用しないということが常識とさえなっていた中で半世紀ぶりに自由形でメダルを獲得しました。
さらに、種目を絞って出場するのが当たり前とされている中、複数の種目に出場しています。
彼は言います。
「日本人だから、できないと一度たりとも思ったことはない」
「アジア人は活躍している。背の高さは関係ない。自分の泳ぎで大きな人と闘っていく」

注2*写真はイメージであり、実在の人物とはなんら関係はございません。
この言葉に僕は痺れます。
空手人生、僕も同じように感じて頑張ってきたし、そして今でもそう信じているからです。
空手の世界でも、やはり海外選手に比べ日本人はどうしても体格ではかないません。でも僕はそれでも負けるとは思いません。小さいなら小さいながらの闘い方がある。
幼い頃から僕はそう思って頑張ってきました。大きな選手の攻撃にも負けないように、受け方や捌き方はもちろん、当時は体作りのため必死に食事をとりましたし、体の大きさが自分に対するハンデとならないよう、自分のペースで闘える方法を常に考え、出来ると信じて頑張ってきました。そんな思いも重なって、萩野選手を見ていると自分の魂も熱くなってきます。
岩田道場の子供達も、このように上を目指し続ける心を持って頑張って欲しいし、その心を育てたいと思っています。
空手だけではなく、自分が目指す分野においては、自分の可能性を自分で区切ることなく、無限の可能性を信じて頑張る心を持って進んでいって欲しいと思います。
さあ今日も世界水泳が始まります。また熱い夜になりそうです!
今夜も一人、ベットの上で背泳ぎを練習しながら応援をしたいと思います。
ちなみに、萩野選手は小学生の頃からの徹底した基礎トレにより強い体幹を持っているため、その体幹を使った泳ぎで手足中心に泳ぐより効率よく泳げるうえ、しっかりした体幹ゆえに水中で真っ直ぐな姿勢を保て、水の抵抗が小さくすむようです!やはり全ての基礎は体幹につながりますね。さあ皆さん、体幹トレーニングで明るい未来を切り開いていきましょう!!
といえば丁度タイミング良く、県北支部の渡辺先生と蓮田支部の蓮見コーチと体幹倶楽部を創設しました。なんだ、繋がるじゃないか!
そういうわけで、今後、月1度、第3週の土曜日・武蔵浦和道場 20時~ 渡辺先生も参加して体幹倶楽部を行う事になりました!
僕も頑張りますので、皆さんも頑張って下さいまし!!!
*本文中にイメージで登場して頂きました、石山初段は超運動出来る方で、
スキーはクラウン級!
水泳も海豚級!
そしてご覧になられて分かるように変態です。ご協力ありがとうございました。

しなやかな流線型のBODYを美味しく頂きました!
それでは、また来月までSee You!
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いや~、男性ホルモンって良いですね! 201307号
女性は恋をするといつまでも若く美しくいられると言います。
恋のドキドキが女性ホルモンを活性化するからだということが、科学的に検証されている。
ここで疑問。
では男はどうなんだろうか?
恋で男性ホルモンはでるのだろうか?
「好きな人が出来て、ものすごく男臭くなった」と急に筋肉でも張ってくれば、なんだかガツガツ感が出て逆効果な気すらします。
昨今「草食系」という言葉に象徴されるように、昭和な感じのガツガツ男が減ったように思います。
電車に乗っていても、肌もスベスベで髭もなく、体の曲線も華奢で、腕の毛も少ない。
そんな爽やかな若者をよく目にします。
う~ん、たしかに、格好良いしモテそうだ。正直、オジサンは嫉妬しちゃうね。
しかし、僕は長年この男くさい道を突き進んできたのです。

男は男であるべきであって、「男子たるもの美醜は必要ない」と敬愛する秋山好古さんも喝破されております。
一生男の匂いをプンプンさせて生きていくのだ!
少々、時代錯誤の僕は、平成のスマート世代に対抗すべく、さらに獣道を深化させるべく
アニマル・プラネット&National Geographicを熟読し、世界と喧嘩できる人間に深化していこうと心に誓った事から今月の支部長月記はスタートです。
というわけで、
お題は梅雨時期のムシムシ暑苦しい季節に、灼熱の「男性ホルモン」話。
男性ホルモンとは何か。
簡単にいえば、「男らしさ」を作り出すものです。
身体的な作用としては、体毛の発育を促したり筋肉質な体を作り出します。生殖機能も大きく左右されます。
内面的な作用としては闘争心や決断力、自分への自信を持たせます。
まあ、バランスを崩すほど有り過ぎても攻撃的で短気で短絡的で性欲ばかり強いという恐ろしいことになります。
ただ、強い肉体と向上心に溢れる男であるためには男性ホルモンは欠かせないものです。
残念ながら「男性ホルモン」は、年齢と共に減少していきます。我々オジサン世代は、しっかり努力をしていかないと男性ホルモン分泌量を維持できないのです。
つまり以前の月記にも記しましたが「オジサン」が「オバサン」になってしまうのです。
さて、僕の所属している、広義では格闘界、狭義では武道・空手界を見渡した時、男性ホルモンたっぷりな人間の比率が多いと思いませんか?
それには理由があるのです。
男性ホルモンの分泌は筋肉と関係があるのです!
男性ホルモンはタンパク質を筋肉に変える働きを持ちます。食事でしっかりタンパク質を取り筋肉トレーニングをすることで、男性ホルモンが分泌されます。
さらに心への刺激も大切です。試合に臨む闘争心や緊張は、男性ホルモンの分泌を助けます。
日々の鍛錬の結果、さらに大きくなった筋肉を維持するために、男性ホルモンは多く使われるため、絶えず分泌が促される。
そしてトレーニングを継続することにより男性ホルモン効果で筋肉が大きく育ち、さらに男性ホルモンの分泌が促される。裁判の判例や、心理学にも登場する「現状維持の法則」が肉体にも強く働くのです。
男性ホルモン分泌にとって筋肉増強は、プラススパイラルなのです!
また、体脂肪が増えると男性ホルモンの分泌を抑制しますから、筋肉質な体を造り維持する事で、安定した男性ホルモンの分泌が期待できます!
これからの時代、戦える身体と心の強さは絶対に必要だと思いませんか?
現在の飽食・日本の中では「体と心の強さ」がなくても、ただ生きることは出来ます。
が、現役世代の僕らもアベノミクスに明記されたように、生産性による業種の選別は、世界規模の競争とともに、ますます激化する事でしょう。
怖いのは、これから始まる次代達(現在の子供達)はそんなに甘い時代ではないという事が非常に高い確率で明らかであるという事。
世界相手に競争できる、戦える人間こそが、日本の未来に、繁栄と社会の安定をもたらしてくれると僕は信じています。

さあ、
男を磨きたい諸君、
男らしさを手に入れたい諸君、
御子息に社会で生き抜ける強さを与えたい保護者の皆様、
一緒に空手で男性ホルモンを活発に分泌させ、世界と戦える強い身体と心を手に入れましょう!
もちろん女性もお待ちしています。女性はそもそも造りが違うので、ムキムキにはなりませんからご安心を!
女性の場合は成長ホルモンの分泌でアンチエイジングに役立ちます。また、自分の身は自分で守れる術を身に付けておけば安心ですね!
さあ、今年の夏も熱さや、迸るほどの汗臭さにはもろともせず、元気にLet's 空手!!
未来の幸せの為に、「今を」頑張って行きましょう!
おぉ、ジュテーム・・・ 201306号
皆さん、フランスという国はご存知ですか?
そうです、ヘットバットで有名なジダンの国フランスです。
フランスといえばカールおじさんで親しまれている西ローマ帝国皇帝、
ジャンヌダルクの活躍で有名なイングランドとの百年戦争。
近代史ではド・ゴール主義と定義される第3極思想。
歴史を勉強してみれば見るほど楽しい国柄です。
ちなみに日本でお馴染みのフランスベッド株式会社の創業は昭和21年6月5日。
昨日6月8日にはフランスのオランド大統領が国賓として来日し講演を行い、まさに6月の支部長月記に相応しいネタでお届けする今月号。

僕には腹の立つことがあります。かなりご立腹です。
僕が永久の愛を誓った、弾けるようなオーラに包まれながら実はしっとりと絡み付くような肌、小柄で美しく常に僕を笑顔にさせてくれる、そんな僕の天使が、あちこちで汚されている。そんな場面を僕は何度も目撃し怒りにワナワナと怒りに震え、もがき苦しんだのです。
その天使の名は「マカロン」
ご存知の方も多い、あの伝統的フランス菓子の「マカロン」です。
差し入れで戴いたのが僕らの運命的な出会いでした。
あの小柄なボディからは想像出来ない破壊力は、矢口真里クラスです。
僕はマカロンが好きです。マカロンを見たらつい買ってしまう。別に繊細な舌を持っているわけではないけれど、あの見た目の可愛さと食感が大好きです。まずパリッと崩れ落ちるような外側の生地、そしてそのなかにネットリとしたやわらかな生地、続いて現れるクリーム。
上下から同時に攻めてくるあの感覚は、イジリー岡田と江頭2:50が連鎖的に攻め寄せてくる感じに近いものがあります。
さらに、繊細な舌は無いが、ガラスの胃腸をもち少食な僕にはあの小ぶりな大きさが実にぴったりはまる!もちろん一回のおやつに一個でじゅうぶんです!が、カラフルで可愛いので、可愛い小物好きな僕はつい「五個ください」などと注文して、大切にゆっくり味わいます。
そんな大好きなマカロンの人気にあやかろうと、「マカロン」の名を語る「偽マカロン」が最近巷に溢れている(怒)

それが最近一番の僕の怒りです。この怒りはだいぶ前からジワジワと湧き始めていましたが、最近キャパオーバーとなり、道場では怪我人が続出するという事態に発展(←もちろん嘘です)。
故会って、変態仮面が如く、マカロン好きになってしまった僕は、パブロフの犬のごとく、「マカロン」と聞くとつい手をのばします。最近はJR駅構内が楽しみで仕方ありません。以前にエキナカで、カラフルな「マカロンラスク」をウキウキ購入。ラスクですから、マカロンの生地を乾燥させちゃったわけで、当然パリネトっという食感もへったくれもなく、その時に「マカロンという名前に騙されるのはやめよう!!」と固く心に誓ったのでありました。しかし、それからも何度も騙され続けているのです。
最近立て続けに悔し涙を流したのが「和菓子店の出すマカロン」です。
見た目は小さくて丸くてカラフル。名前にちゃっかり「マカロン」を入れてくるため、ピュアな僕は店を信じて、その「和・マカロン」を購入し、楽しみに帰ります。猛者達との熱い稽古を終え、食事をとり、そしてデザートにウキウキしながら「和・マカロン」をとりだす。
「和・マカロン」とはどんなかな?あんこアピールもハンパないから、和三盆糖かなかにか使った生地に生クリームと合わせたあんことかはさまっちゃってるのかな?それとも、きな粉でも練り込んだ記事に黒蜜でもはさんだりしてるかな?……はやる気持ちを抑えて僕はマカロンを口に。そして、裏切られたことを知るのです……「マカロンじゃない(怒)これはどら焼きだっ(怒)
そもそもマカロンはアーモンドを使って焼き上げたフランス菓子なのです。ネットリ濃厚な生地はアーモンドの粉の成せる業であり、もちろんパティシエの腕によって味も食感も違う。しかし、どら焼きになってしまったのでは、シェフの腕も何もない。
「和・マカロン」にはかなりやられました。時に小さく丸くカラフルなどら焼き、 ときに小さく丸くカラフルな饅頭、ときに小さく丸くカラフルな皮に包まれたきみしぐれ。
僕がここで言いたいのは、何度も騙されたくやしさだけではない!職人の意地はないのかっ!ということです。俺はどら焼きは寅やと決めているんだ!という訳です。
売るために名前だけフランス菓子「マカロン」の名前を借りて、マカロンらしさはとっぱらい、「カラフルで小さいどら焼きだけど、マカロンってつけたらうれるんじゃね?」みたいな心に腹がたつ!そのまま単純に和菓子にマカロンと名前だけかりるのではなく、フランス菓子がびっくりする和のマカロンを作ってやろうという日の丸を背負った心意気はないのか(怒)
フランス菓子に和で殴り込みをかけ、「まさにマカロンっ!しかしまさに和菓子っ!」と唸る逸品を作ってやろうというギラギラした心はないのかっ!
やり場のない怒りに震え眠れぬ僕は、その晩遅くまで一人稽古を続けました。
真似ることはもちろん大切です。しかし、形だけ真似てもダメだと思うのです。それをしっかり自分のものとして取りこまなければ、成長したとは言えない。
良いものは真似して、学んで、自分の身にとりこんで進んでいこう、そして極めていこう。
マカロンを通じて空手への熱い思いを再確認して、6月のスタートです!
熱く煮えたぎった心への鎮痛剤に、銀座「六雁」のマカロンを予約したいと思います。
それでは、また来月までSee You!
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ANNIVERSARYですね 201305号

今年はディズニーランドが30周年ですね。
僕は37周年です。っはい、蛇足情報ごめんなさい。
さて本題に・・
僕もこう見えて、ディズニーランドは嫌いではないのです!ただ、ほとんど行く機会がないのですが…
子供の頃に、家族旅行で、はるばる海を渡って関東に上陸、どこかの駅で、まさかの長女が迷子(当時、15歳)警察に保護されるという事件にもめげず、無事にディズニーランドにたどり着き、夢の国を堪能した記憶が今でも鮮明に蘇ります。
チケットを渡して、くぐり抜けたゲートの先に待っていたのはシンデレラ城。
当時の僕(9歳の可愛い盛り)は思いました。
将来、絶対にシンデレラになろうと。
家族に、その意気込みをポップコーンを口から吐き出しながら言ったら「君は男だからシンデレラにはなれないぞ」と窘められ挫折を味わったディズニーランドです。
そんな僕ですが、先日甥っ子が渡海してきたので、可愛い子供と可愛いオジサンのコンビで行ってきました、ディズニーランドへ。
行ったとしても、空手が大好きなおじさんのディズニーランドとなりますから、「コーヒー飲んで休憩」の回数は、アトラクション乗車の数より多くなります。
甥っ子達が並ぶプーさんに、「プーさんの自堕落ぶりに俺は負けないよ」と勝負にならない勝負を呟きながら、逃げるように背を向けピザをほおばりながら待つわけです。
しかし、不思議なことに、「夢の国」の空気は待つことを苦にしません。
増収増益のオリエンタルランドのホスピタリティーにはただただ脱帽です。
ふとみれば近くをシンデレラが美しすぎる笑顔で軽やかに歩き、泣いている子供に優しく何やら語りかけておりました。僕もシンデレラに優しく包み込まれたい…まさに「夢の国」。
ところで、ディズニーランドには鳩や鴨、すずめなど、けっこう鳥がいますが、どの鳥もなんとなく、小綺麗ではないですか?
ダミ声でなくようなアヒルもいない、あちこちで粗相してフンを落としまくる鳩もいない、一番不思議に思ったのは、普段東京で当たり前に目にするカラスがいない……
まさか、鳥にもオーディションがあるのか!?
とにかく、僕の周りで見かける鳥と、同じ種類とはいえ品が違う!カラスに至っては見かけない!道場近くに住むカラス達であれば、日に数件の「ワゴン襲撃事件」は起こるはずです。
まさか、ミッキー達が、夜な夜なBB弾を片手にカラス退治を……そんなの想像もしたくないっ。
頭を抱えた僕は賢いに友人が連絡。さすがに賢くレスポンスが早い返信メールには「カラス見たことあるよ!」と。
そう、カラスはいるらしい。ただ、ディズニーランド内があまりに清潔なので餌がないので極端に少ないのではないかという話でした。納得です!でも僕が思うにシンデレラ城の影に潜むカラスは、間違いなくディズニーランドのオーディションを勝ち抜いたカラスに違いない。あまりに似合いすぎてますから。
カラスによるワゴン襲撃事件が発生しないのは、ディズニーキャストさん達の優しさの結果なのですね。
「水は方円の器に随う」といいます。環境や仲間によって、人間は良くも悪くもなります。
環境は人を造るけれど、鳥も造るのかな?ディズニーランドにいる鳥は ディズニーランドの空気を乱しません。
シンデレラ城を背に、眩しいくらいの鮮やかな緑の芝生を、がちょうさんが、可愛くプリップリッとお尻をフリながら歩いてきました。ポップコーンを手に歩く女子高生やかわいらしい子供を見つけると「ちょうだいな!」と言うように、プリップリッと媚びうつ感じで近づいていく。たまに、子供がポップコーンをあげたりすると「ありがと~」と言っているような仕草で、ガッツクこともなく食い散らかすこともなく、可愛く食べていました。
可愛い、可愛いすぎる。
オジサンになった今は、若い頃と違い、あからさまな媚びもイラっとせず受け止められる心のゆとりを手に入れましたから、輝くグリーンの芝生でモンローウォークをきめる真っ白ながちょうを微笑ましく見守っていました。
あの演技力、やはりあのガチョウもオーディションを勝ち抜いた一匹に違いない!やはり有楽町の国際フォーラムあたりで、きっと開催してるな、「ディズニー鳥オーディション」
そう思った時でした。
見知らぬオジサンがガチョウに近付いていって、「可愛いな~」と手をだしました。その瞬間を僕の大きな一重眼は逃さなかった!
さっきまでの楽しそうなガチョウの顔つきがサーっと変わり、ぷいっとオジサンから顔をそむけ完全に無視を決め込んだのです!
ひどいじゃないか、ガチョウさん。さっきまでの愛想はどこに消えたんだ!オジサンには冷たいのか?!
僕は、いてもたってもいられず、ガチョウに近づきました。可愛い女子高生や子供には可愛くすり寄るくせに、オジサンは無視なのか?
とするならば僕はいったいどちらなのか?
モンローウォークでニコニコ寄ってくるのか、
「チッ」と舌打ちしながら横をむくのか……
僕ががちょうに手を差し伸べると同時に、ねるとんクラブの「お願いします!」を連想しながら緊張していた、まさに次の瞬間!!!
賢明な読者の皆さんなら、お分かりになられる事でしょう。
言う(記載する)までもありません。
そうです、そうなんです。
ガチョウは僕を真っ直ぐ睨みつけ、「グァワグァワグァワー(怒)」とダミ声で威嚇してきたのでした。今にも噛みつきそうな勢いでした。
僕は、あまり人の評価を気にしない方ですが、これにはなんか凹みましたね。
ガチョウさん目線から、悪い奴と判断されたのです。完全に敵を見る目でしたから。
動物と子供は真実を見抜く目を持っていると思っていますから、その時僕は顔では笑いましたが心は泣きました。
甥っ子の「あのガチョウさんは、魔法使いに魔法をかけられたら王子様だから、ヒゲ面が嫌いなんだよ~」という優しい言葉に、僕は涙を拭うのも忘れて甥っ子を抱きしめ、憎しみのあまり窒息させたのでした。・・・甥っ子は、その後順調に回復。無事に学校も通っています。
環境は人を変える……次回は絶対にガチョウさんに媚びてもらえるほどにディズニーランドの空気に馴染んでみせる!
ガチョウさんにモンローウォークをキメてもらえた暁には、必ず報告したいと思います!
それには、まず美白からだな・・・・
それでは、また来月までSee You!
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春なのに成仏の話 201304号
今年は桜があっという間に咲いてしまい、入学式のころにはすっかり散ってしまいそうですが、ハラハラと散りゆく桜もまた美しいですよね。
桜を下から眺めるのももちろん好きですが、桜より高い位置から桜を眺めるのがより好きです。少し日の沈みかけた夕暮れ時に、桜の淡いピンクが雲海のように広がり、それが夕焼けの色と混じり合って、ピンクのような青のような、紫のような、なんとも捉えどころのない妖艶でありながら上品さは決して忘れない、そんな光を放つ瞬間が一番好きです。
妖艶かつ上品……う~ん、たまらない。まるで、そう、ローラのような。
頷いた男性諸君も多いはず…かな?
上品…といえば、仏像好きな知人から、楽しい話を聞きました。
人間はこの世での行動によって、「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」というランクから「下品下生(げぼんげしょう)」というランクまで9ランクに分けられており、ランクにより、あの世へ召される時のお迎えに差がでるとか…ホントかな~。
「上品上生」のランクをもらった人は、阿弥陀如来がたくさんの菩薩一団を率いて美しい音楽を奏でながら輝く蓮台を運んできます。この美しい蓮台に乗ってあの世へ旅立ちます。
しかし「下品下生」という最低ランクの生き方だったと判定された人は、寂しく地味な蓮台だけがスーッと迎えにくるのです。
この人生ランクが「上品・下品」の語源となっているようです。
この世だけでなくあの世も格差社会ですね。
ちなみに、僕のランクはどこかな?と探しましたら、9ランク中5番目でした。
低いっと思いましたが、一般人はこのランクなようです。ここから下は悪人です。僕がこの世の人生をまっとうしたら、一応は、あの世からお迎え担当が来てくれるようです。安心しました。僕は非常に方向音痴ですから、たった1人飾り気のない蓮台にのって、あの世を目指すなんて自信がありません。
お迎え担当がいれば、「これからあの世へむかいますよ~」と教えてくれるでしょうが、一人ぼっちとなれば、たぶんどこに向かうのか、何が待っているのか、まったくわからぬままさ迷うことになるわけですから、これは怖い。若い時なら「俺はどこに向かうのか、この先に何が待つのか!」と冒険心に溢れ体力気力共にみなぎりワクワクするかもしれません。恐れを知らぬ若い僕なら失敗を恐れずガムシャラに進むこともできますが、そこはあの世への入り口。すでに人生を全うした終着点、僕の足腰は痛み目はかすみ耳も遠い、さらに「計画なくガムシャラに進んでも大抵痛い目をみる」ということを長い人生経験により学んだ後ですから、無計画に突き進むなんて恐ろしくて仕方ないはず。
あの世につくまで、どこに罠があるのか猜疑心の塊となり目は血走りゲッソリして再び死にかけたあたりであの世につくことでしょう。そして六道の三途(畜生・餓鬼・地獄)へとに落ちていき苦しむまがら第二の人生(この時点で死んでいる)となるのです。天上道、人間道にいっても苦しみからは逃れることは出来ないようですが。
人生の終わりにわかる自分の生き方の品格。
自分の散り際は上品でありたいものだと、風に舞い、散りゆく桜を見ながら赤羽を歩いていたら赤羽の菩薩こと林家ペー・パー子さんに遭遇。ピンクの衣装が似合っていました(笑)
それでは See You!
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